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avenir

サーカス劇場座長、清末の日記

今好きな作家

奥泉光、大江、町田康。
イヨネスコ。

大江は別として、軽快なのがいいですね。
大江も軽快だけど。
ひゅーもあ。
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結果がすべて

まあ、結果がすべてだな。

そう思わないと、演劇なんかやってらんないわけだし。

自分の予想を裏切るような、新鮮な結果が出てくれることを、毎回期待するわけですが。

台本もそうで、
最近、短いスパンで何本も台本を書くのがつらく、
「まだインプットがたまってないよ」「すげーもんともっと出逢いたいよ」と思いながら、
可能な限り最高の出逢い、最高の充満状態を求めて何とか自分の精神を高め、書きついで来た。
で、今回とんでもない相手と出逢って、「書けるのか?こんなもの」と思いながら、無理やり書いた『ノスタルジア』。
変な戯曲だ。
しかし、逆にとても私らしい作品のような気がする。

ほっといても、作品には作り手の性格が出る。
だからこそ、思いもかけない他者と出逢うことが最初に必要。

すっごくコンパクトに、濃い芝居ができてくれれば。
できなきゃ終わり。
毎回、背水の陣です。

試されている。いつも。結果が出せるか。

新たな出逢いのために

台本の最後を先日書き直し、完全決定稿となったのだが、今回の台本の最後の部分には、これまでの自分のすべてをささやかに込めた感がある。
原稿用紙2枚分くらいに1時間半かけるという、自分にとってはありえない遅筆ぶりだったが、その分ささやかながら怨念に満ちた台詞が出来上がった。

結局、演劇ってのは出逢いの場を組織するためのものであると思う。
自分の完結した生活だとか妄想の世界だとか、自分がひとりで「現実」と思っているものを表現するのに、演劇は徹底的に向いていない。

なぜなら、
役者は結局は作者とか演出家の言うことに100%従うわけじゃないし、
スタッフも100%作者や演出家の望みどおりのものを作るわけじゃないし、
観客も100%作者や演出家の狙いだとかプランだとか思想だとかを受け入れて妄信するために劇場にやってくるわけじゃないし、
あと、当たり前だけど、作者の書く言葉ってのも、作者の考えていることを過不足なく表現するものではない。
当然といえば当然のことで、本当に完全に思い通りのものを作りたいのなら、言葉もイメージも使わず、他人との共同作業など一切せず、自分の頭の中の閉じた世界で遊んでいればよいのだが、
特に演劇は、偶然性と不随意性の割合が大きいメディアである。

不随意性と偶然性に満ちた、事故のような出逢いこそが、演劇の環境である。
そして、演劇の可能性は、その出逢いの中にある。

「歴史の終わり」と情報社会化以降、演劇が描くべき新しいものなど何もない、もしくは、生半可に新しいものばかりがあふれかえってすべてがシミュラークルの戯れになっている(両者は結局は同じことだ)、という声が聞かれ、そういう状況認識に基づいた演劇ばかりになっているが、これはとんでもない話であって、
まだ何も終わっていないし、世の中には私たちの知らないすさまじいことがたくさんある。
すごい何かが何もないなどと考えるのは、出逢いを回避して生きているからそうなるのであって、言ってみれば恥ずべき傲慢さなのだ。

出逢いはどこにでもあるはずで、ただ出逢いにくい状況になっているだけだ。

第五福竜丸にラブレターを書き続けた女と出逢ってしまったら、人生変わるだろう。
南京からひとりの日本人を追って東京へ復讐にやってきた女と逢ったら、人生変わるだろう。
人生を変えるには、出逢いがなければならない。

劇場とは、演劇とは、物語の上でも、作り手と観客の関係という点でも、出逢いを組織する場なのであって、
出逢いもなくズルズルと、自分たちの生ぬるい思想だとか現状認識だとかを、共感を求めて垂れ流すような演劇は、発表会に過ぎないのだ。

フロイト

久しぶりにフロイトを読んでいて、精神分析を受けたくなった。
もしかしたら、内面的なヒステリー(語義矛盾か?)が改善されるかもしれない。
この1年くらい、ひたすらストレスたまってきたからな。
公演がおわったら、温泉か精神科に行ってみよう。

でまあ、公演準備はラストスパート。
止まったら死ぬ。

スピード

何のかんの言っても、まだ若いのです。
熱いのが好きで、辛いのが好きで、濃いのが好きで、でかいのが好きで、激しいのが好きで、速いのが好きなんだな。

枯れるにはまだ早すぎます。
落ち着くにもまだ早すぎます。

見てご覧なさい。
溢れんばかりに、いろいろ湧きだしてきてますよ。
10年前、8年前、5年前、2年前、1年前、いつとでも比べてみてください。
いまがいちばん生き生きしてます。
いくらでも湧きだしてくるんです。

死ぬまで、こんな感じで行きます。
ぐずぐず言わずに、もっとスピード上げりゃいいんでしょ。
いくらでもスピード上げられますよ、悪いけど。


考えていることはいろいろあるんですが、書く暇がないんです。
ほんとに。

やりきります。
出し切ります。

サーカスっぽくなくて、サーカスっぽい、今年最後の『ノスタルジア』。

多分、相当サーカスっぽいと思います。
こういうサーカスもあったのか、ありだな、そういう感じです。

可能性とかってのは、そういうことじゃないでしょうか。

不眠

また眠れず。
ひどく疲れてるし、眠ろうとしたのだが、変な詩なんぞができて。
結局眠らないことにして、色々してた。
眠れるスイッチがあればいいのに。

とりあえず、この後アルバイトに。

『ジョバンニの部屋』

ジョバンニは それを
ダンボールの箱に入れ
大事に 家に
持ち帰った

二月のはじめだった
掘り炬燵のなかに
カムパネルラ
だから
ジョバンニは夏にも炬燵をしまわない
掃除もしないし 誰も
家に呼んだりしない

そうして彼はますます陽気だ

『銀河鉄道終着駅』

穴のあいた心臓
ナタ

ジョバンニよ もう
あきらめろ

やったのは
きみだ

燃料

大事なのは、備給される燃料だ。
ちゃんと燃料がないと、駆け抜けられない。

燃料が切れると、息もできなくなる。

あ、ちなみに

なんとかいい曲って見つかるもんですね。
第2場の曲は、すごくいいのが見つかりました。
自分のため込んだCDを聴きまくってたら、嘘みたいに。
蓄積って大事。

いま、私の部屋に、CD何百枚あるんだろう。
あと、本は何千冊あるんだろう。

誰か、本棚くれないかな。

稽古

阿鼻叫喚。
なまなましくやらなければ。

ああ時間がない。
その分、密度で勝負しなければならない。
それは、一瞬の隙も許されない真剣勝負であり、私自身はすごく楽しいが、役者は大変かも知れない。
しかし、のんびりやってるわけにはいかない。

もっと速く行こう
畜生
もっと速く行こう

細木

細木数子には、ジュディス・バトラーとかバーバラ・ジョンソンとかと討論してほしい。
あの独断的な論法が、どこまで通じるのか、彼女自身知っといた方がいいんじゃないか?

キャラ自体はおもしろく、嫌いではないが、あんなふうに反動思想をさもあたりまえのように撒き散らし、みんなでありがたがってる状況は、かなり有害だと思う。

また選曲

年がら年中曲を選んでいる気がする。

テーマ曲、勝負曲は、5、6曲はっきり決まっていて、それはいいのだが、
第2場の曲がな。ここでつまずいた。
第2場どうしよう。
かっこよすぎてもダメだし、弱くてもいかんし、何よりも、さり気ないのがいちばんダメだ。

とか言っても、読者のかたには何も分かる訳がない。

とにかく、バイトが終わったら、稽古までの間に家中のCDをまた引っ繰り返してみよう。

朝!

寝なくったって、溌剌と!
これからバイトだ、そのあと、また選曲と稽古だ。
いやがうえにも溌剌と!
楽しいな!

と、すでに言葉遣いおかしくなってることには、気付かないふり。

シニカルに、溌剌と

何か書くとすべてネタバレになりそうで、あまり書けないのです。
演劇ってのは、見え透いた瞬間に終わり、という認識がとみに強くなってきているので、いろいろばらしたくありません。
見え透いたものって、つまんないから。

まさに演劇一辺倒、っていう、馬鹿みたいに理想的な生活してます。
すべては私の作る芝居に、複雑な過程を経て加工されるのです。

シニカルに、溌剌と。

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